闇鍋っぽく「あんみつ」を食べる、「#暗蜜会 (あんみつかい)」に参加した。
あなたは、「あんみつ」が好きですか?
こう聞かれて、「好き」と答える人は多い。私も好きである。
しかし、考えてみて欲しい。あんみつをあんみつたらしめる構成要素は、寒天、あんこ、黒蜜、エンドウ豆。これらのはずである。しかしながら「あんみつは好きですか?」と聞かれて「好きです」と答えたとき、あなたの頭の中に浮かんだものは何だったか。あんず、みかん、きな粉のかかった抹茶ソフトクリーム、求肥(ぎゅうひ)、そしてそれらが皿に溜まり、黒蜜と渾然一体になった甘い汁・・・
これらは本来、あんみつにとっては、添え物(もしくは副産物)にすぎないはずだった。しかしこうしたアクセサリーに目がくらみ、本来の意味でのあんみつが愛せていないのは、果たして健やかなことなのだろうか。皿の上で居合わせた食材たちの、ひとときのかりそめの関係にはなんの意味はあるのだろうか。
そもそも、ソフトクリームに黒蜜ときなこを掛けたら美味しいが、それでは「牛角アイス」である。それならば、どこまでがあんみつで、どこからがあんみつではなくなるのか。一線はどこに引かれるのだろうか。
こんなことを考えていた矢先、掲題の通り、「あんみつ」で闇鍋っぽいことをする「暗蜜会」のお誘いがあった。ので、参加した。本イベント開催にあたり筆者が顕著な貢献*1をしたことを添え、本論に入る。
場所は都内某所のレンタルルーム。マンションの一室を借りることができ、ホームパーティができる。誰のホームでもないのに、である。ITプラットフォームにおける「プライベートクラウドサービス」とは、こうした設計思想に基づくサービス提供である。
主催の 千鳥あゆむ@3日目-東ヒ10b (@chidoriayumu) | Twitter 氏より、概要の説明があった。
その後、各自が持ち寄った具を発表していく。
初対面の参加者もおり、極めて張り詰めた空気の中、一触即発のプレゼンテーションが行われた。
結果、全9人の参加者が持ち寄った食材は以下の通り。
↑クリックで拡大します(他の写真もですが)
以下、参加者各位の成果物たる「あんみつ」たちを紹介していく。
ノーマルあんみつ。食器がチャラいとカクテルっぽさがある。おいしい。
トッピングのドライフルーツを多めに載せた「本気あんみつ」を撮る、参加者*2。
自らの手で創造したあんみつをかわいく見せたいと願うその行為は、「自撮り」の延長とも言える。
言い忘れていたが、本会の参加者は私を含めた全員が女子大生であった。*3
豆腐系のトッピングを強化した例。ある種、悟りを開いている。
この角度だと寒天も見えないので、ビジュアルにあんみつ感がない。台湾あたりの人気スイーツ*4といった見た目。
カラフル路線。色付きの求肥がかわいい。
娘がいたとして、このあんみつを喜ぶ年頃が、最もかわいい時期なんだろうって思った。
あざとさで勝つ。
正直どれだけ具を載せても、冷えた状態で甘い蜜を掛けて食べるんだから大抵のものはおいしくなる。
和風路線。
求肥と黒蜜がいるだけで、他の共演者が誰であっても「あんみつ」感があるから不思議である。桑田佳祐と原由子と、知らない人4人が一緒に歩いてたらサザンオールスターズに見えるんだろう。そういうことだ。
このあたりから「あんみつ」なのかは曖昧になる。
黒蜜をかき氷シロップに置き換えても、「あんみつ」の「みつ」に関しては満たしていると言える。寒天はナタデココに似ているので代用可能。あんみつの各要素を完全に置換した。これを「あんみつ」と呼べるのかは、「テセウスのパラドックス*5といえる。
あんみつか、あんみつでないか、といった議論からアウフヘーベンした例。最近、小池都知事が「アウフヘーベン」って言わないから淋しい。2階建て電車を走らせて満員電車を解消する話はいったいどこにアウフヘーベンしてしまったのだろうか。
キラキラしているとそれだけで嬉しい。嬉しければ、それがあんみつかどうかは些細な問題である。
金箔を散らすことで、有無も言わさぬ迫力を得ることも可能。
人は金箔のキラキラと求肥の色に目が奪われ、後方の2匹のコアラに気付くことはない。
一般論として、フルーツは美味しいし、甘いシロップも美味しいし、キラキラしていたら嬉しい。これが生きるということなのである。
「彼氏彼女と呼び合う関係に、一体何の意味があっただろう。」というフレーズは綿矢りさ氏によるもの。この後は、「誰と誰の心が深くつながっているかに呼び名なんて関係ない、あるのはいつも、抗いがたい引力と、視線を交わした後のさりげない微笑みだけ。」と続く。
あんみつのトッピングに「たまごサンド」を付した参加者がいた。
あんみつ・非あんみつと呼び合う関係に、一体何の意味があっただろう。食べて美味しいかどうかに呼び名なんて関係ない。あるのはいつも、抗いがたい食欲と、皿を空けた後のさりげない罪悪感だけ。
何があんみつかあんみつじゃないか、という問いに意味なんかなくて、あんみつは皆さん1人ひとりの心の中にいる。